日本で初めて砂糖が渡来したのは奈良朝のころといわれている。天平勝宝六年(754)日本に来航した唐の僧鑑真の船積貨物の記録の中に「庶糖・蜂蜜十斛、甘蔗八十束」とあり、わが国の砂糖に関する記録としては、これが最も古いものである。
阿波の国に我国産白糖の王者と言われた和三盆糖が根付いたのは、日本糖業の先覚者であり、創始者である丸山徳弥翁の功績によるところが大きい。徳弥翁 (1751~1826)は徳島県上板町引野の農家に生まれ、幼にして英才、家は貧しかったが、単身日向にわたり甘蔗苗三節を密かに持ち帰り、庭内に栽培 し、面積の拡大するに及び製糖を開始し、黒糖より白下糖へ、さらに白糖へと研究を繰り返し、苦心惨憺の末、遂に和三盆糖を完成した。その当時藍以外には大 した産物がなかった阿波北岸地方は、この特産を得て活況を呈し、たちまち一大産物となり江戸・大阪へ大量の製品を積み出した。藩主蜂須賀候はこれを喜び、 徳弥に苗字帯刀を許し、砂糖奉行に任命した。
その後も徳弥翁の偉業を継ぐ様々な人たちの活躍により隆盛を見た製糖業であるが、輸入品、さらには近代工場で量産される白砂糖に太刀打ちできず衰退し た。しかしあくまで手作りにこだわり、和三盆糖こそ内外いずれの砂糖に比べても絶対最高のものであるという強い自信と誇りを持つ人たちによって、今も伝統 の暖簾は守られている。

 

 

製造風景

砂糖キビの収穫風景。
   

砂糖キビから砂糖のエキスを絞り出す。

   
絞り出した砂糖のエキスを釜場で火にかけ、 煮立ててあくを抜く 。
   
あく抜きのあと煮詰めると、トロッとした粘りがでてくる。
これを冷やして白下糖をつくる。
   

出来上がった和三盆糖の粉を型にはめ、様々な形の製品にする。

 

 

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